デイサロンこまば 主任インタビュー
2022.09.27


デイサロンこまばの主任 石田文子(いしだあやこ)さんにインタビューしました

Q:なぜ福祉、介護の仕事をしようと思われたのでしょうか?

A:高校の時に、やってみたい!と、思っていた職業とは別に、何か資格を持って働ける仕事はないかと考えていました。父が福祉関係・母が看護師の仕事をしていたので、母が介護の仕事を勧めてくれました。たまたま近所に福祉専門学校があることを知り、高校卒業後に入学し、介護福祉士の資格を取得しました。専門学校で福祉・介護のやりがいや楽しさを学び、働くきっかけとなりました。

Q:担当の事業所で目指している介護やサービスのあり方について教えて下さい。

A:目指しているビジョン・目標は、「5つ星きらめくデイサロンこまば」です!
①あなただけの居場所「思いのまま自由でいて☆~い」
②ヒノキの個浴でゆったり「気持ちよく過ごして☆~い」
③美味しい食事「楽しく食べて元気でいて☆~い」
④仲間と一緒に楽しい時間「イキイキ暮らして☆~い」
⑤快適な送迎「安全な送迎で安心して来て☆~い」
この「5つ星きらめくデイサロンこまば」のケア方針を基本として、利用様がその方らしく、生き生きと笑顔で過ごして頂けるようなサービスを目指しています。また、利用者様の声を聞くことを大切にしています。コミュニケーションを取り、ご利用者様を知ることを大切にしています。「今日も楽しかった!」そう言って頂ける事が、なによりもうれしいです!


Q:担当の事業所で目指している職場環境や人材育成のあり方について教えて下さい。

A: 職場環境はとても良いと思います。働いている職員さん達は、職場環境が良いので、皆さんとても長く勤めています。職員一人一人の個性を活かし、ご利用者様との関わり方もそれぞれの職員さんらしさを尊重しています! 仕事の基本的なルールは守りながら、職場さんの自発性・自主性を大切にしています。「こんな事をやってみたい!」などの声も大切にしています。ご利用者様も職員も十人十色。それがデイサロンこまばの良さだと思っています。
 また、離職率ゼロを目指しています。特に新人職員さんには、馴染みやすい環境作りをし、コミュニケーションを取ることを大切にしています。


これからも、ご利用者にとっても職員にとっても居心地の良い居場所を目指します!
time.png 2022.09.27 09:55 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 未分類
特養主任になっての抱負
2022.04.26


「特養主任になっての抱負」
総合ケアセンター 駒場苑
特養主任 松本 紘明

<私が介護の世界に入るまで>
今から約10年程前、大学生だった私は、毎晩のように夜の街に繰り出し、一晩中酒を飲み散らかし、二日酔いで大学の講義に出席するというどうしようもない男でした…。時には酒に飲まれ、大暴れしたり、暴言を吐いたり、友人と殴り合いの大喧嘩を繰り広げるという、まさしく「屑野郎」でした。 大学4年になり、就職活動を開始するも、「屑野郎」を採用してくれるようなところはどこもありませんでした。飲んだくれの学生生活を送っていた私が、どんな仕事に就きたいか?将来どんな風になりたいか?等考えていた筈もなく、エントリーした企業からは悉く「お祈りメール」が届く始末でした。何十社も断られ、もはや断られる事に慣れてしまっていた私に救いの手を差し伸べてくれたのが介護業界でした。当時の私は介護の仕事をやろう等とは夢にも思っていませんでした。
「介護って何するの?」「ADLって何?」「認知症って何?」といったようなレベルでした。
しかし実際に介護現場でひた向きに利用者さんと向き合おうとする先輩職員さんの姿勢を見て、率直に「この人たちすげぇ~」と感心すると共に、これまでのどうしようもない自分が恥ずかしくなりました。(笑) そして何より、こんなどうしようもない自分に、ごくごく当たり前のことをしただけで、満面の笑みで「ありがとう」と言ってくれる利用者さんと接しているうちに、自分の心が洗われて行くような気持ちになりました。


<駒場苑に入職>
そんなかつての屑野郎(屑なのは今でも変わっていない…)は、徐々に介護の世界にのめり込み、もっと自分の介護技術を向上させたい、たくさんの利用者さんや職員さんと出会いたいという意欲を持つようになりました。
そんな自分が行きついた職場が「総合ケアセンター 駒場苑」でした。
駒場苑では、「7つのゼロ」の取り組みのもと、職員さん一人一人が高い意識を持って仕事をしていて、皆それぞれに高い介護技術、知識を持たれていて、私自身も「こんな先輩たちの様な介護が出来る様になりたい!」と偉大な先輩職員さんの技術を1個でも盗もうと、食い入るように仕事ぶりを見つめていました。


<特養主任になって>
そんな「屑野郎」松本は、この度駒場苑にて「特養主任」という恐れ多すぎるポジションを任されることになりました。
10年前の自分がまさか主任になるなどということは夢にも思っておらず、正直主任としてのビジョンを全く持ち合わせていませんでした。「どうしたら良いんだ?」と始めは思い悩んだ私でしたが、こんな時だからこそ、「原点」に立ち返ろうと考えました。

<利用者ファースト>
そもそも自分が介護の世界にのめり込むきっかけになったのは、利用者さんからの「ありがとう」の言葉でした。そんな利用者さんから「ありがとう」と言ってもらう為にはどうしたら良いのかということを、共に働く現場の職員さんたちと一緒に考えていきたいと思っています。
「利用者さんの為」と言いながら、実は自分の思いや価値観を利用者さんに押し付けてしまっていないか?本当に自分の介護は利用者さんの為になっているか?もっと良い方法はないか?そういったことを日々自分自身に問うと共に、職員さん全員に自分自身に問いかけて欲しいと思っています。それこそが真の意味での「利用者さん本位の介護」ではないかと私は考えました。私はこれを「利用者ファースト」と呼んでいます。

<職員同士が密にコミュニケーションを取れる職場>
そんな「利用者さん本位の介護」ができるようにする為には、職員さん同士が密にコミュニケーションが取れるような職場内での「信頼関係」が必要不可欠だと考えています。職員同士が介護のやり方や考え方について本音で意見をぶつけ合える職場環境の構築が必要不可欠だと考えています。職員同士のコミュニケーションが取れる場を作ると共に、私自身も職員さんに対し積極的にコミュニケーションを取りたいと考えています。


<今後の目標>
そんな私の今の目標は、利用者さん全員から「駒場苑に来て良かった」と言ってもらうことです!
そもそも私が今回特養主任を引き受けた一番の動機となったのは、自分の様などうしようもない屑野郎でも、頑張れば主任になれるんだということを知ってほしかったというのがあります。(笑) どうしようもなかった自分を育ててくれた介護業界に恩返しをしたいという気持ちも芽生える様になりました。


まだまだ頼りない新米主任の私ですが、今後どうぞよろしくお願い申し上げます。
time.png 2022.04.26 16:23 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 未分類
ヘルパーステーションの西山です
2022.04.13



Q 所属とお名前を教えて下さい。
A 駒場苑グループ ヘルパーステーションこまば 主任の西山 拓です。

Q なぜ福祉、介護の仕事をしようと思われたのでしょうか?
A 高校一年生の時、祖父が脳梗塞で倒れました。当時、祖父が大変な時に、自分はバスケットボール中に骨折しギブス固定していて、自分が何もできない悔しさを感じていました。祖父は3度目の脳梗塞で、当時は99%在宅復帰は無理と言われているほどの重度の脳梗塞でしたが、様々な方の関わりがあり、約2年後、後遺症はありながらも奇跡的に自宅へ戻ってきました。そのとき、家族皆がとても嬉しくなり、とりわけ祖母に笑顔が戻りました。
祖父が在宅に復帰するまでの過程で、多くの職種の方が関わっていることを知ることができ、医療・福祉に関心を持ち、大学の福祉学部に通い、高齢者・障がい者・児童との関わりを色々と行い、結果的に高齢者介護を選択しました。
今の職場に入職する前は、別法人の有料老人ホームで働いており、現場のケアスタッフ・リーダー・介護予防担当・ケアマネージャー・管理職(副ホーム長)を約13年間の中で経験させていただきました。しかし、介護の世界に入るきっかけとなった祖父の存在や、祖父が在宅復帰した先ほどの経験を通じて、在宅介護に携わりたいと思い、縁あって現在の事業所で働くことになりました。

Q 担当の事業所で目指している介護やサービスのあり方について教えて下さい。
A 駒場苑グループでは、「最期まで、気持ちよく、主体的で、その人らしい生活」を送っていただくという目標があります。その中でヘルパーステーションこまばは「我が家が大好き」というテーマを掲げています。「関わる利用者が、1日でも長く在宅で」、そして、「在宅生活がすごい幸せだったと感じて人生を全うしていただけるよう見届けていきたい」という思いを実現できるよう、日々業務にあたっております。

Q 担当の事業所で目指している職場環境や人材育成のあり方について教えて下さい。
A 働くヘルパーが気兼ねなく休める環境を作れるよう努力しています。働くものとして自己の健康管理は大事ですが、やはり「人」なのでどんなに頑張っていても体調を崩してしまったり、家族が体調不良で休まないといけないということはあります。そのときに、各ヘルパーのサービスが常時詰まっている状況だと、一人休みが出ることでサービスが回らなくなってしまいます。そうならないために、サービス提供責任者が空いている時間を作っておくことで、一人休んでも調整がしやすい環境を作れるようにしています。
実際に今は、お子さんが保育園に通っている正職員が1名いますが、「休んでも回るから大丈夫だよ」という状況はある程度作れております。

そして、訪問介護を行う上で、大事なのは「柔軟性」です。施設はある意味「ホーム」での介護になりますが、訪問介護は人の家というある意味「アウェイ」で介護をすることになります。その中で、自分の意見を押し付けず、利用者の変化を感じ取り対応することが大事です。 生活歴、性格などを読み取った上で、声かけを変えられるなどの柔軟性が大事になります。
画一的なケアになるのではなく、柔軟性に富んだヘルパーが多く集まれるような育成が今後もできるように務めてまいります!
time.png 2022.04.13 13:21 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 未分類
授賞式
2022.03.18


年度末に、その年に駒塲苑の図書コーナーに感想を寄せてくれた職員さんを表彰しています。

職員のKさんは、東社協主催の
「東京の介護ってすばらしいグランプリ2021」のコラム部門の最優秀賞を受賞されました。
そのお祝いも兼ねて、苑長からギフトカードとチュッパチャプスの花束を贈りました。

こんな素敵な職員さんがいて、嬉しいです!!

受賞作品はこちら
time.png 2022.03.18 12:11 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 未分類
『職員のつぶやき』のページ開設
2022.02.17


「介護の世界に入ったきっかけ」 

総合ケアセンター 駒場苑
施設長 坂野悠己

 総合ケアセンター駒場苑の施設長の坂野です。このコーナーでは職員さんが日々介護の仕事をしている中でのエピソードや想いを発信したり、職員さんへのインタビュー記事を載せたりしていきたいと考えています。今回ははじめの記事として、私自身の介護の世界に入ったきっかけの話をここでさせて頂きたいと思います。 

 私が介護の世界に入ったのは、大学生の時です。大学と言っても介護には何にも関係のない大学でした。そんな私が介護の世界を知ったのは、ただただ時給の高いアルバイトを探してフリーペーパーを見ていたら、そこに「施設のケアワーカー」という募集があり、その時給が当時の私のアルバイト先の時給より高かったので目にとまった、という理由です(笑)

 私は老人ホームでおじいちゃんおばあちゃんと、お茶でも飲みながらお話ししたりしてるだけでこんなに良い時給がもらえるんだ!とすぐに電話をかけ、面接に行き、「男手が必要だった」というその時はよく分からない理由で採用になりました。

 そこは特養でしたが、後に大昔の老人病院に近い所だったと知りました。私の知る限り、食堂等、起きて過ごすスペースはありませんでした。全員入居と同時に、強制的にベッド上の食事となり、オムツをあてられてしまいます。私のはじめの仕事は、朝食後に端の部屋から端の部屋まで、先輩と順番にオムツを換えていくという仕事でした。

 この施設では日中に朝昼夕食後3回のオムツ交換が決められていました。すべて何とか換え終わると、どこかの部屋から便の臭いがしてきます。皆が皆、同じタイミングで便が出ないので、オムツ交換後に出てしまったのでしょう。布オムツなので、素人の私にも便が出てしまった人の部屋が臭いで分かります。すぐに換えてあげなきゃ、とその部屋に行こうとすると、先輩に「どこ行くの。もうオムツ交換の時間は終わったんだから、やらなくていいの。そんなのいちいち対応してたら仕事まわらないよ。」 とひき止められました。その便が出てしまったおばあちゃんは、その後、便が出たままの状態でお昼ご飯を食べて、その後のオムツ交換の時間でやっとオムツを交換してもらっていました。

 さらにその施設には、元気な高齢者も結構入居していて、その人達からすると入居と同時に寝たきり、オムツになるのはもちろん抵抗があるのでしょう。ベッドから起きて部屋を出てきます。

 そういう人達の事をこの施設では問題行動をする人と位置付けていました。そういう人達はすぐにベッドを4点の柵で囲んでベッドからおりられないように対処されていました。それでもさらに元気な人達は、柵を乗り越えて出てきたり、柵を自分で抜いて出てきます。そういう人達は超危険人物として、手首を紐で縛られ柵に結ばれていました。

 お風呂も魚屋のようなエプロンと、長靴をした職員が何人かで部屋に入り、部屋のベッドで裸にしてから、ストレッチャーに乗せ、バスタオルを一枚かけて、廊下を移動してお風呂場に連れていっていました。

 私は、正直おじいちゃんおばあちゃんとお茶を飲んで過ごすくらいのイメージで来た事もあり、その仕事内容はもちろん、そのおじいちゃんおばあちゃんの状況に非常に違和感をおぼえました。そして同時に怒りも、です。直感的に「ここは人が最後に死んでいく場所なんだろう。でも人が最後に死んでいく場所でこんな状況は異常だ。おかしい。許せない。」と思い、それを先輩職員にぶつけていきました。

 「なんで起きちゃダメなんですか?なんでトイレに行っちゃダメなんですか?なんでこちらの決めた時間以外でオムツを替えたらいけないんですか?なんで縛る必要があるんですか?なんで裸のまま廊下を移動するんですか?起きたっていいじゃないですか。トイレに行ってもいいじゃないですか。お風呂場で脱げばいいじゃないですか。」それに対する先輩職員達の答えは「だからそんな事いちいち対応してたらまわんないから。介護ってそういうもんだから。坂野くんはまだはじめたばかりだから分からないんだよ。若いね~。」

 先輩職員に言っても通じないと思った私は直接施設長の所に行き、同じ事を施設長に訴えました。するとそこの施設長は「ほんとそうだよね。坂野くんの言うとおりだよ。起こしてあげたいよね、トイレに連れていってあげたいよね、お風呂もゆっくり気持ちよく入ってもらいたいよね。すごく分かるわ。これからそういう状況を変えていこうと思うからがんばろうね」と言ってくれました。

 少し安心してしばらく働きますが、特に目立った変化はありませんでした。そこでもう一度施設長の所に行き、「こないだお話した件、どうなっていますか?」と聞きに行きました。するとその施設長は、「そうだよね、ほんと坂野くんの言うとおりだよ。そこに近づけるようにがんばるからね」というお言葉。数年後、私は気付く事になります。この時、施設長が私にしていた事は「傾聴」だったという事に。傾聴して、共感する姿勢は見せるけれども問題解決にはあたらない。言わばトイレに行きたいと利用者が言っているのに、「そうだよね、トイレに行きたいよね~」と言いながらトイレには連れていかない、というイメージです。

 数回、そのラリーを施設長と繰り返した結果、施設長から呼び出されて私は1ヶ月でそこの施設をクビになりました。向こうからしたら、めんどくさいバイトが入ってきた、きれい事言ってクレームばかり、そんなバイトめんどくさいのでやめてもらいましょう、となったのでしょう。

 そして、私はそのクビになった事にも腹が立ちました。「おかしい事をおかしいと言ったら排除される。なんだこの介護という世界は。こんな劣悪な状況の世界を知ってしまった以上、その世界を変えてやりたい!」この怒りが、数十年ずっと私を駆り立てるモチベーションになっています。

数十年後、私は転職した特養駒場苑で仲間達と7つのゼロを掲げて施設改革をする事となります。その7つとは、寝かせきり、オムツ、機械浴、脱水、誤嚥性肺炎、拘束、下剤、です。掲げた時は、特に意識していなかったのですが、はじめて働いたあの特養ですべてあった7つ、本人の意思関係なく強制的にされてしまっていた7つだった事に後に気付く事になりました。あの頃の怒りはまだ忘れていません。

 今では総合ケアセンター駒場苑の施設長になり、主任、リーダー、介護職や専門職の皆さんに現場を任せる立場になり、今は経営や採用、事務や外部のお仕事をする事が多くなりましたが、あの頃の想いと怒りはそのままに、特養だけでなく、駒場苑グループ全6事業で在宅で暮らしている方から施設入居されている方まで、高齢者の皆さんが、最後まで、気持ちよく、主体的で、その人らしい生活を過ごして頂けるように仲間達と取り組んでいきたい、そしてそれを発信していく事で、そういった場所が1つでも多く増え、この世界をより良い場所に変えていけたらと考えています!
time.png 2022.02.17 12:58 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 未分類

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