*---- 施設長のひとこと ---------------------- もくじ -- home * back * --------------*

         
 
 
   

2009.10.29

第3回 『三好春樹介護セミナー盛況裡に開催!』

去る10月21日(水)目黒区共催の三好春樹介護セミナー『新しい認知症のケア』は、約160名の参加をいただき開催することができました。区民の方、介護の仕事に従事している方、駒場苑のご利用者本人やご家族の参加もいただき、誠にありがとうございました。

今回のテーマである認知症については、まだまだ理解が浅い分野なので参考になることが多かったと思います。いつもの軽妙な「三好節」?の話に眠くなる人は一人もおらず、所々できらりと光る言葉を聴くことができました。

三好さんの提唱する"新しい介護"は人としての人格を尊重する考えに基づき、愛隣会の基本精神である"隣人愛"と同じものと思います。参加された皆様にも介護の場面で生かしていただければ幸いと思っています。  

ご支援いただいた目黒区様にもお礼を申し上げます。

 

もどる  

   
     
         


         
 
 
   
2009.10.5   

『世界は分けてもわからない』(福岡伸一著) その2

中秋の名月は10月3日でしたが、4日(日)の夜は見事な満月でした。
去る9月5日、福岡伸一教授の講演会で冒頭に紹介された話、氏の著書『世界は分けてもわからない』にも書かれているものです。 15世紀終わり頃のイタリアの画家ヴィットーレ・カルパッチョの2枚の作品にまつわる不思議な話を皆さんにご紹介します。(一部は本から抜粋紹介)

彼の描いた「ラグーンのハンティング」(作品1)というタイトルの絵は、現在アメリカのロスアンジェルス郊外にあるゲティ・センターに所蔵されている。石油王J・ポール・ゲティーの遺産で建てられ、世界一豪華な美術館と言われる。作品は15世紀の貴族たちの舟遊びの様子を描いたもの。絵の左、一番下には唐突にユリに似た花が描かれている。なぜこんな所に花があるのか。
2枚目の作品はイタリア、ヴェネツィアのサンマルコ広場にあるコッレール美術館に所蔵されている。有名なヴェニスの娼婦を描いたといわれ「コルティジャーネ」と言う作品名が付いている。(作品2) 二人の女:高級娼婦はコルティジャーネと呼ばれたので、このような名前が付けられている。
(上が作品1、下が作品2 それぞれクリックすると大きい画像が見られます)

福岡教授は本でこう書いている。
『一見して謎めいた雰囲気をことさら深めているのはこの絵の色彩のあざやかさだ。ここには原色が無い。しかし彼女たちの衣装の艶やかさはどうだ。手前の女が身にまとう紫の深さ。向こう側の女のドレスの黄土色の明るさ。そして彼女たちの肌の白さ。・・・なによりも見るものの心を捉えて離さないのはこの絵全体を支配する言いようのない虚無感だ。女たちは何かを見ているようでその実、何も見ていない。・・・あえていうならば彼女たちの遠い眼は、いずれも絵の外側にある虚空を見つめているのだ。作家の須賀敦子は、これを「壮絶なほどの頽廃」と書きとめている。古来、この絵は、数多くの文学者や芸術家の好奇心を集めてきた。それはすべて彼女たちの視線の行方を巡るものであるといってよい。
ヴェネツイアで贅沢を極めた生活を送っていた女たちが見つめる空虚さ。  
ところが「ザッテレの河岸で」の中で、美術館のカタログを読んだ須賀は意外な事実を知る。大理石の欄干に置かれた、白黒の網目模様のついた花瓶の家紋の分析から、これがトレッラ家というヴェネツィアの由緒ある家柄のものであることが判明したというのだ。ということは、高級娼婦とされてきたこの絵の二人の女たちはヴェネツィア旧家のごく普通の婦人たちであるかもしれない。・・・彼女たちが旧家の婦人方だったという推論はそのままではすとんと心に落ちない。それでは彼女たちの姿に表れた倦怠は、彼女たちの眼のうつろさは一体なんだというのだろうか。でも須賀さん、この絵にはもうひとつ隠された秘密があったのです。トレッラ家の紋章がついたファエンツァ焼きのこの花瓶。ここにはユリの花が挿してあったのです。ユリの花の向こうにはヴェネツィアのラグーンが広がっていたのです。』  

『ゲティ・センターのキュレーターたちは「ラグーンのハンティング」が描かれた木製パネルを詳細に分析した結果、のこぎりで切断したという結論に至った。そこでコッレール美術館の『コルティジャーネ』の上辺部を調査したところ断面は一致し、二つの絵は完全につながったのである。海中に浮かんでいたユリの花は収まる場所を得た。画商がこの絵を真ん中から上下に切断し、二つの絵として売りさばくことを思いついたのだ。二つの絵は流れ流れて数奇な運命の末、ひとつははるかロスアンジェルスに至り、もうひとつはヴェネツィアにとどまった。』

『・・・さまざまな非破壊的検査によって、ゲティ・センターは、この絵の背面に頑丈な蝶番が打ち付けられていた跡を見出したのだ。かつてそこにあった蝶番はこの絵の左端からその半分を外側へのばしていたものと推定された。蝶番跡は上下に二ヶ所付いていた。つまり、ラグーンのハンティングとコルティジャーネからなる細長い木製のパネルは、屏風のような折り戸か、あるいは大きな家具の扉の右半分であったのだ。そして蝶番によって左半分のパネルと連結されていた。ならばその左側のパネルにも絵が描かれていたことだろう。上にはラグーンに連なる物語が、下にはコルティジャーネたちの視線の行方が。
ひょっとすると彼女たちのうつろな視線は、そこに何があったとしてもそれを透明なものとして突き抜けていたかもしれない。いずれにしてもそこには何かが描かれていたのである。それは今いずこにあるのかも、永遠に失われてしまったものなのかも確かめるすべはない。
ただひとつ言いうることは、私たちが多くの想像をめぐらせたこのコルティジャーネも、のどかな海辺のハンティングも、全体から切り取られたほんの部分にすぎなかったということである。』

(お知らせ:ホームページで福岡伸一先生関係のことについての紹介は、9月5日にお逢いした際にご了承をいただいております)

 

もどる  

   
     
         

 

         
 
 
   

2009.9.24

『敬老の集い』

蝉の季節が終わり、夜には虫の声を楽しむ時期になりました。朝夕めっきり陽が短くなり、秋が深まりつつあります。

20日(日)は駒場苑の特養では"敬老の集い"を催しました。
昼食は「ステーキ・刺身ご膳」を食べて元気を付け、午後はご家族にも参加していただきお祝い会とコンサート・ケーキのお茶会と、楽しい時を過ごすことができました。ご家族の方も大勢参加してくださり、まことに有難うございました。

一番印象深かったことは、昼食のステーキと刺身の豪華版に皆さん満足されたようで、美味しいものは何も言わなくても皆さんペロっと食べてくださったことです。各フロアに伺った際「美味しかった・・!」という声を何人からもいただき、満足の笑顔がこぼれていました。

第1部の式では最長寿101歳の方が3名、ショートステイご利用中の男性Mさんも一緒にお祝いしました。杖を付いて歩く姿は矍鑠(かくしゃく)とし、ご自分で椅子に座られる振る舞いは素晴らしいでした。

第2部はノアさんが懐かしい童謡を皆と一緒に歌ってくれました。「指に足りない一寸法師・・」では、5番までさっさと歌える方がいて皆びっくり。「とび入り、とび入り・・」と大きな声で叫ぶ方もいて、賑やかで楽しいひと時になりました。
(この様子はホームページの『駒場苑日記』でお楽しみ下さい)

 

もどる  

   
     
         

         
 
 
   

2009.9.8

『世界は分けてもわからない』 (福岡伸一教授の講演会に参加!)

5日の夜は、久しぶりに美しい満月だった。
もうすっかり秋の気配の澄んだ夜空。
雲ひとつ無く晴れた空に煌々と大きく輝き、ウサギのもちつきが見えそうなほどでした。

5日午後、私のブログでも何度か紹介してきた青山学院大学の分子生物学者:福岡伸一教授の講演会に偶然知人から誘いを受け、銀座の時事通信社ビルに行きました。今の私にとって最も興味のある人物で、「世界は分けてもわからない」という演題でした。同名の新刊書を会場で購入し、サインしてもらいました。また、私のブログで氏のことを何度か紹介してきており、掲載の了解もいただいてきましたので、今後もお知らせしていきたいと思います。

講演の中身の方は、発刊済みの本で既に読んだ内容が多く出ましたが、特に『動的平衡』の本に書かれていたことが語られました。落ち着いた静かな語り口と、論理的で無駄の無い話し方に会場の聴衆は次第に引き込まれていきました。
氏は美術にも造詣が深く、中世イタリアの画家ヴィットーレ・カルパッチョの作品にまつわる不思議な話から始まりました。私にとって全く聞いたことが無い名前で、ましてや、その話の内容になると・・・。
この絵にまつわる話は、ぜひ皆さんにもご紹介したいので次回をお楽しみに。

もどる  

   
     
         

         
 
 
   

2009.8.24      

 『夏が終わる・・』  

8月も下旬を迎え、甲子園の高校野球も終わろうとしている。また、今年から短くなった小中学校の夏休みが終わり、一気に秋が近づく季節である。  
今年は8月になっても梅雨明けせず農作物の不作が心配されたが、後半になって何とか夏らしさが来てホッとする状態だ。電力不足を心配するニュースは一度もなし。東京の夏が苦手な私にとっては歓迎だが、異常気象、それはそれで心配なことも多い。
"物事は中庸をもって良しとなす"という言葉を思い出す。  

"季節"を何によって感じるかは人によって様々である。その時の気分によっても異なる。皆、その人なりの物指しをいくつも持っているが、芸術家は更に多いことであろう。日頃見慣れた景色や出来事の中に、普段は漠然と見ているものが或る時突然カメラのフォーカスが当てられたように、くっきりとはっきり見えることがある。
これが"気付き"や"感性"といわれる。日頃からどのようにこれを磨いていくか・・。  

人との関わりの中にもこれは当てはまると思う。毎日ふれあい繰り返される中に、その人の変化や輝き、新たな発見を見ることが出来るか。それは毎日の自分自身の生活や仕事の中に、日々どう向き合って生きているかに置き換えられる。
そのために「畏れる心と感謝の心」をいつも持って歩んで行こうではありませんか。

                  

もどる  

   
     
         

         
 
 
   

2009.8.5  

暑中お見舞い申し上げます

今年の夏は異常気象が続きます。

8月に入って梅雨明け宣言が出るという状態ですが

ぼつぼつ暑くなり始め 蝉も元気に鳴きだしています。

これから本来の夏が来て欲しいと思います。

暑さ迎える折、皆様もご自愛下さい。

もどる  

   
     
         

 

 

home * page_top * back *
********************************************

東京都目黒区大橋2−19−1
TEL 03-3485-9823 FAX 03-3485-9825
**********************************************************************